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ゴクリの頭と指輪の王

さて、先日書いた記事「ゴクリのむれ」にコメントなどでいくつか情報をいただいたので、数日前に入手したThe Annotated Hobbitと合わせ、改めてエントリを立てようと思います。

書いたらめっさ長くなりましたが、興味のある方は続きをごらんください。




私がホビットの冒険を初めて読んだ時(瀬田訳[3,4])、以下の部分に違和感がありました。

いつもゴクリは、このような魔法の指輪がこの世にたくさんあったむかしむかし大昔のころ、ゴクリがおいわいにもらったといいはっているのですが、そのようなことは、わかったものではありません。その昔のゴクリのむれをとりしまっていたゴクリの頭でも、知らないにちがいありません。(瀬田訳上巻[3], pp.164)

指輪物語を読んだ後で私はすでにゴクリの由来を知っていたため、ゴクリがある種の生物か種族の名前であるような「ゴクリのむれ」という表現を不思議に思ったのです。そこで先日、原著を読み始めた際に該当部分の原文を確認してみたところ、以下のようになっていました。

But who knows how Gollum came by that present, ages ago in the old days when such rings were still at large in the world? Perhaps even the Master who ruled them could not have said.(The Hobbit, 4th ed.[1], pp.75)

指輪物語の背景も含めて考えれば、この"the Master"とは"rings (of power)"の支配者、所有者であると考える方がしっくりくるように思います。また、この文の前後を探しても、"Gollum"をthemと示すような部分(例えばgollumsのような)は見当たりませんでした。

ならば山本訳はどうなのだろうと前回のエントリに書いたところ、該当部分の引用を以下の通りコメントにいただきました。

ゴクリはいつも自分にむかってこのように言いましたが、そのような魔法の指輪がまだいくつも世の中に出まわっていた古い古い昔のこと、ゴクリがどうやってそれを手にいれたのか、さあ、知れたものではありません。指輪の王にさえ分からなかったでしょう。 (山本訳[5])

見ての通り、こちらではthe Masterは指輪の王であるとされています。


ここで問題になるのが、和訳の底本の違いです。The Hobbitは最初に出版されてから三度の改訂が行われました(それぞれ1937、51、66、78年出版)。さらに、第四版に注釈や資料(改訂の履歴含む)を加えたThe Annotated Hobbitが出版されていて、こちらも一度改訂が行われています(それぞれ1986、2002年出版)。瀬田訳[3,4]の底本はThe Hobbitの第二版で、山本訳[5]はThe Annotated Hobbitの初版(つまりThe Hobbit本文は第四版)です。

そこで、各底本の違いを調べるためにThe Annotated Hobbitの第二版[2]を購入してみました。ゴクリの登場する章"Riddles in the Dark"は、指輪物語の誕生によって第二版でもっとも大きく変更が加えられた箇所で、初版の文章も主だったところはThe Annotated Hobbitに掲載されています。具体的には、このページを参照ください(コメントで教えていただきました)。

まず、上記ページに載っている改訂後の文章は瀬田訳の底本となった第二版のようです(※1)。問題の箇所は初版からごっそり書き換えられた部分に含まれますが、The Hobbit第四版[1]やThe Annotated Hobbit[2]を読む限り、the Masterのくだりに第二版から大きな変更はありません。そしてThe Annotated Hobbitでは、この"the Master"はサウロンその人を意味するとはっきり注がつけてありました(※2)。

これらを踏まえるに、瀬田訳と山本訳それぞれの底本は該当部分に大きな差はなく、"the Master who ruled them"を"ゴクリのむれの頭"としたのは、瀬田氏の誤訳であるということになりそうです。

※1:ゴクリに初めて言及した部分、"Deep down here by the dark water lived old Gollum."は、第三版で"Deep down here by the dark water lived old Gollum, a small slimy creature."に修正されましたが、上記ページの引用部分に"a small~"はありません。ちなみにこれは、各国翻訳版の挿絵でゴクリが巨大な化け物に描かれることが多かったためだそうです(瀬田訳の寺島竜一氏の絵も例にあげられています)。

※2:細かいことながら、これをサウロンであると断言してしまうのは個人的には少々疑問です。The Hobbitの地の文は著者が読者に語りかける形式で書かれており、ゴクリについては"I don't know where he came from, nor who or what he was."となっています。ですから、(メタ的な視点ですが)この"著者"は指輪物語の背景の知識はなく、the Masterは漠然と指輪の所有者を指すと考えた方が自然に思えます。



なぜ瀬田氏がこのように訳したかについては、コメントなどで「ホビットの冒険を訳した時点では、氏は指輪物語を未読だったためではないか」との指摘をいただきました。それを裏付ける部分が瀬田訳の訳者あとがきにあります(これも教えていただいた情報です)。

(指輪物語について)もし、あなた方がおとなになっても、こういうファンタジーを喜んで読むようになったら、私もこの本と同じように、とっぷり物語のなかにひたりきって、夢中になって訳してみたいと思います。(瀬田訳下巻[4], pp.276)

たしかにホビットの冒険の中ではゴクリの正体についてはほとんど触れられておらず、彼はただ得体の知れない生き物です。ですから、指輪物語を知らずに訳したのであれば、「ゴクリのむれ」という解釈も特に物語から外れたりはしません。私の持った違和感も、指輪物語の知識あってこそでしたから。


以上です。版の違いも含め、疑問だった点がすべてすっきりしました。皆さまからの情報、しんからありがたく思います。ありがとうございました。

なお、最後にもう一度念を押しておきますが、この件をもって「瀬田訳は質が低い」などと主張する意図は私には一切ありません。たしかに瀬田訳には(あるいは瀬田訳にすら)いくつか誤訳もあり、今出回っているホビットの冒険は、その多くに修正を加えた新版です。ですが、まったく異なる言語の物語をこれだけ読みやすく、楽しい日本語に訳すというのは、そうそうできることではありません。原著を読んで改めて、瀬田貞二氏の訳の妙にうならされました。いとしいしと!


参考
1: J. R. R. Tolkien, "The Hobbit or There and Back Again", Houghton Miffin, New York, 1997
2: J. R. R. Tolkien, D. A. Anderson, "The Annotated Hobbit revised and expanded edition", Houghton Mifflin, New York, 2002
3: J. R. R. トールキン, 瀬田貞二, "ホビットの冒険 新版 上巻", 岩波少年文庫, 東京, 2000
4: J. R. R. トールキン, 瀬田貞二, "ホビットの冒険 新版 下巻", 岩波少年文庫, 東京, 2000
5: J. R. R. トールキン, 山本史郎, "ホビット―ゆきてかえりし物語 第四版・注釈版", 原書房, 東京, 1997(※)

※山本訳は未所有
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